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オタクのバンジージャンプ体験記(2022-10-17)

オタクの人生は瞬速の光だ。女しか出ないアニメとか、女がみんなヒョロヒョロの主人公に恋をしているアニメとか、そんなのを見ていたら30歳になる。ピクシブのポルノや、erocoolの無料ポルノを読んで珍棒を撫でている。射精。すると40歳だ。

俺はそんな自分を変えたい。そう思って旅をすることにした。旅とは、気持ち悪く、何も成していない非正規雇用のオタクでも何かを達成した気になれる。変な場所に行ってツイッターにアップロードすれば、自分が特別な体験をしていると思える。そういうものだ。だから変な顔に似合わず、オタクの間で旅は大人気のレジャーだ。その例に漏れず、俺も旅を選択した。もちろん、旅をしたことでモテモテになるはずもない。それでも、自分の何かが変わると思った。
孔子曰く、ぶっ殺せ』/アクルト(@akhlt)

はじめに

 バンジージャンプを飛んだので感想と記録を備忘録的に記そうと思う。文学的修辞をなるべく排除して、箇条書き形式で、その時思ったことをそのまま書くことを意識した。
 オタクの人生はいわく「瞬速の光」であり、山間部への旅行を好むオタクは非常に多い。またああいったアクティビティは身体感覚が薄いオタクみたいな人種ほど楽しめる(恐怖心もぶっ壊れるので)傾向が強そうなので、当然バンジージャンプをしたことのある読者も多いかもしれないが、ぜひ読んでいってもらいたい。

前日までの記録

  • 友人からバンジージャンプに誘われ二つ返事で了承。特に深く考えていない状態。

  • 別の友人にそのことを話すと「人生変わっちゃうじゃんwwこれで突然意識高い系キャラとかになったらやだよww」と言われた。基本的な安全が保証されているなかで飛び降りることがそこまで重大事だとは思わず、心境の変化なども無いとタカをくくっていたため「ンな訳ねーだろww」のような返答をした覚えがある

  • 前日は少しバンジージャンプについて調べた(完全に友人に受け身で誘われたため、どこのバンジージャンプ場に行くのかもよく知らなかった)。若干怖くなった。

  • しかしながら概して現実感がなく大して恐怖心も湧かないといったところ。

当日(飛び降り前)の記録

  • 友人と合流して車で向かう。本気でビビっている友人1人、大して怖がっていない友人1人、俺の3人。

  • 場所に到着、遠景から見える飛び降り場の高さにちょっとビビる。ただまだ怖くない。

  • 受付後流れ作業のように飛び降り場に連れて行かれる。ここら辺の技術はプロフェッショナルを感じた。ちょっとした洗脳に近いと思う。

  • 先述の、ビビってるやつ、俺、大して怖がっていないやつの順で飛び降りることになった。ビビってるやつはそれでも根性があった(というよりはスタッフの誘導技術が高過ぎたのか?)ので、カウントダウン後普通に飛び降りていた。

  • 飛び降りてからややあってか細い絶叫。トラウマみたいな顔つきで吊り上げられてきて流石に恐怖心が高まる。

  • スタッフに誘導されて飛び降りる直前のところまで来たところで、足がすくむ。スタッフに促されつま先を足場から少し出したところで恐怖心が最高潮に。

  • ただ跳べないほどビビっていた訳でもなかったし、ここでチキってたら際限なく恐怖心が上がって本気で終わるなという直感があったので、普通に飛び降りた。

  • ただこれも後で考えてみると、自分の自由意志というよりはスタッフの誘導技術の産物なのだろうと思った。

当日(飛び降り中/飛び降り後)の記録

  • まず飛び降り中に意識を失う自殺者がどうとかいうアレ、普通に嘘やね

  • 自分でも驚くほど野太い絶叫が出てビックリした。「死ぬゥゥゥゥゥ!」とか叫んでて、こんな時にもそんなネガティブなワードしか吐けないのかと、絶叫しながら10%くらい自己嫌悪に陥ってた。

  • ジェットコースターよりバンジージャンプのほうが怖くなかった。これには理由があるみたいで、バンジージャンプは頭から落下するので、ジェットコースターに乗る時に起きる内臓の浮遊感がかなり軽減されるらしい。筆者はあの浮遊感が若干トラウマになっているので尚更だったのだろう。怖かったけどそこまで怖くなかった。

  • 最初飛び降りたときよりも紐がバウンドしている時の方が怖かった。トランポリンみたいなバウンドというよりは、不規則な自由落下を何回も繰り返している感じで、無限回死んだ気になれる。また、人間は不確定なものを嫌がる傾向がある。最初の飛び降りは、自分の行動(飛び降り)によって起きた正当な結果という趣があるが、バウンドしている最中はカオス様にたわむ紐が全ての命運を握っている感じがするため、そこの違いもあるかもしれない。

  • 最後の方はだいぶ余裕が出てきて上の連中に手を振ったりピースしたりしていた。怖いと楽しい半々くらいか。

  • ややあって吊り上げ作業が始まったのだが、ここが一番怖かったかもしれない。地上付近の高度からだんだん、高層ビル並みの高度に命綱一本で上げられるのはまあまあキツいものがある。他の連中もここが一番怖かったかもしれないと、似たようなことを言っていた。

  • 吊り上げ後は、トラウマを負ってマトモに人が落ちる様を見られなくなったビビり君のかわりに3人目を撮影していた。その後も友達と飯食ってそこそこに自然を楽しんで帰ったのだが、特段何かが変わった感じは(少なくとも自覚の上では)なかった。ビビり君も数時間したら平常に戻っていた。麻布競馬場の何かのエピソードに、『ウユニ塩湖行ったけど人生変わらなかった』みたいなやつがあったが、予想通りバンジージャンプでは人生変わらなかったようだ。

  • 「怖かったけどそこまで怖くない」「怖いと楽しい半々くらい」「別に人生は変わらない」ここら辺3つが教訓めいた何かだろうか。ただバンジージャンプが終わったあと、突然今まで敬遠してきた(リリックが真人間すぎて)Official髭男dismが心の奥深く染み渡り、聴きながら帰ってきたので、深層心理では何か変化があったのかもしれない。あと筆者は概して人生に対する当事者意識が欠如しており、そこら辺の冷笑的態度もバンジーで人生が変わらなかった要因の一つかもしれない。

感想

  • 一瞬、一夜で人生が変わるなんて都合のいいことは、よほどのことがない限りそう簡単には起きえない。特に普段から受動的に生きてる人間だと尚更だ。やはり刹那ではなく継続にこそ力が宿るのだろう。

  • ああいう恐怖をウリにしているビジネスのスタッフはナチュラルに洗脳技術を身につけててすごい。ちょっとした新興宗教かマルチをやらせてもそこそこ上手くやるんじゃなかろうか。

  • バンジージャンプは普通に楽しいのでオススメです。

【ショートショート】すべてがポルノとなる世界で(2022-10-15)

 

 太陽はなぜか妙に温かく、今日は2040年の10月3日。今年は例年に比べて秋の入りが早く、21世紀以降とうとう極まった温暖化も嘘みたいだ。気持ちいい陽の光に揺られ俺は目を覚ました。

 朝起きて戸棚を開くと、サプリメントフリーズドライの培養肉が入っていた。今じゃ電気を食って環境に悪いからって言うもんで、冷蔵庫は市場から追放されている。電気の使用料はここ20年で10倍に跳ね上がった。平均賃金も3倍に上がってくれたのでまだマシなのかもしれないが、食生活が昔の連中より後退しているのは何なんだろうか。

 飯を食いながらパーソナルニュースシステムにつながり、ゴシップ記事を読み漁る。SNSは5年前に禁止された。人間の思考能力を奪い、世界の可能性を縮め、暴力を扇動するからだ。一部のオールドスクールたちは怒り狂ったが、大半はそれ以前にSNSなんて使わなくなっていた。パーソナルニュースシステム(PNS)は第三次大戦期に開発された眼球埋め込み型ARデバイスだ。このデバイスの使用者にとって、目に映るすべてのものは、内臓のAIが個人用にチューニングした編集情報だ。暴力的なニュースはもちろん(大半のばあい)表示されないし、街中でショッキングな映像や場面に出くわしたときは必ずモザイク処理された状態しか見えない。もちろんハッキングによって多くの人間の脳内にグロ場面が流れるようになったことは一度や二度ではない。ただそういった集団トラウマがあるたびに、種々の精神安定技術が駆使され、被害者の心の安寧が保たれるようになっている。この手の技術がここ20年でこれだけ発達したのは例のごとく戦争からだ。世界中で3億、日本でも100万近くが死んだ第三次世界大戦では、特に西部戦線(欧露戦争)において兵隊1人1人の価値を極限まで高める方法が模索された。超高性能な人工義肢を皮切りに、先程のPNS、ロボットの戦場投入などさまざまな方策が採られた。中でもPNSは人間の知覚を支配することができる点で、政府にとってはあまりに都合が良く、戦後急速に普及することとなった。戦争に対して鈍重な対応しか示せなかったGAFAは急速に衰退した。

 当たり前のように俺たちの社会はディストピアを迎え、俺たちに抵抗する手段は残されていなかった。いや、抵抗する対象すらはっきりとしていなかったのだから抵抗などできようはずもない。日本政府はこの20年間本当に頑張ったと思う。中国は攻めてきた。当たり前のように攻めてきたけれど、望外にも日本は勝った。最初のほうはそれはもう敗勢だった。台湾本島は取られ、沖縄本島に上陸され、シーレーンは分断された。食糧危機がもちろん危ぶまれ、1年間でものの値段が倍になった。ミサイルも何発か落とされ、甚大な被害が出た。それでも俺たちは勝った。日本政府の曲芸のような外交と、官僚の頑張りと、俺たち当時の若者が戦場で流した血によってだ。その過程で当たり前のように俺らの社会はディストピア化した。全ての情報は国家に一元管理されるようになり、犯罪行為は日本から消えた。とんだ監視社会だ。健在だったころの中華人民共和国がかわいいくらいだ。今や日本では、どういうやり方でこうなったのかは知らないが、犯罪の全認知件数は月10件以下だ。

 飯を食い終わった俺は女を待つ。俺は40近くのジジイでマトモな就業スキルもないし、戦争に行ったとき一度顔の右半分を吹っ飛ばしている。高度な整形技術と長年の通院である程度はみれる顔になったが、どうしても厳しいものがあり、こうして戦傷者年金を貰いながらその日暮らしのアルバイトをやっている。そんな俺でも最近彼女が出来た!リフレ嬢の女の子で、何度か通っていたらデートしてくれるようになり、そのまま付き合うようになったのだ。別に俺に認知の歪みがあって、嫌がる嬢を無理矢理連れ出しているわけではない。嬢は確かに付き合ってくれているし、そうでなければこうして俺が部屋に招いて来てくれるはずもない。

 インターホンがやや乱暴に鳴り、嬢が入ってきた。嬢は間に合わないと思って走って来たのか少し頬が上気しており、それが俺の固い怒張を誘う。
「あー…、走って来たの?笑笑」
玄関で乱暴に服を脱がし、特に片方のヒールなんて脱げていないまま、俺たちはそのまま交尾に及ぶ。一度嬢が切なげな声を上げて絶頂に達すると、俺たちはそのままソファに行き2度目の愛の交歓に励む。元々の遅漏と年のせいもあり1時間近く続いた行為は、俺の射精で一応の終わりを見る。

 ごろんと寝転がった俺は裸のままの嬢にこう尋ねた。
「俺の顔って実際ものすごく醜いと思うし、年取ってて金もないのになんで付き合おうなんて思ったんだ?」
大学生の頃恋愛工学を習得し、女の前で弱さを見せてはいけないことを学んだ俺だったけど、一時間近くの性行為での疲れからかつい聞いてしまった。
「好きだからに決まってるでしょ、ねー」
嬢は答える。嬢は昔の、それも戦争と疫病ですべての「(第二次大)戦後文化」が押し流される直前の、2010年代文化が好きだった。米津玄師、大森靖子andymori銀杏BOYZ、King Gnu…、いずれも俺が青春を過ごした時代の偉大なミュージシャンだ。今や我々の大半は、脳波フィードバックでAIが作った個人用音楽しか知らない。かつての音楽は「低質」なものとして顧みられなくなっており、音源を入手するのも一苦労だ。それでも嬢は「その不完全さがいいと思うの」と言って昔の音源をかき集める。

 ひとしきりシャワー浴びて(ここでも年甲斐なく一発してしまった)、昼ごはんを2人で作って食べるともう2時を回ってて、嬢はその深みのある笑みを向けて去った。なんでも嬢としての仕事があるらしい。俺は一度だけ、やめてもいいんだということを口走ってしまったが、その時嬢はいつもより更に数段美しい笑みで、
「あなたにしか体は許してないつもりだから」
と言ったのを覚えている。俺の人生の中でこの女以上が現れることはないのだろう。俺は以来、ずっとふわふわとそう思っている。

「あれ」
嬢が忘れていったと思われる本が転がっていた。あれは確か三秋縋の『君の話』だ。俺も一度読んだ覚えがある。テン年代に流行っていた恋愛小説作家で、俺も好きだった覚えはあるが、それほどメジャーな作品でもなかったはずだ。嬢の懐古趣味が高じたのだろうか。果たしてこれを手に入れるのに彼女はいくら大枚を叩いたのだろうか。とりあえず彼女が働いている店に電話を繋げなければ。SNSが消えた今、固定電話というのはいまだに現役なのだ。中でも俺は最近妙に忘れっぽくて、また彼女の携帯番号を忘れてしまった。とりあえず仕方ないので店にかける。

「はい。」
「まいが働いている店だよね?まいが家に来たんだけど、帰り際に本忘れてったみたいでさ。」
「当店従業員のまいは現在勤務中です。追って連絡いたします。」
クソッ!俺には寝取られ趣味などない。ボーイの無神経な発言に激昂しかけながら、「わかったオーケー。早めにしてくれ」と言って切る。
ややしばらくして電話がかかって来た。
「当店従業員のまいに確認しましたが、貴方とは付き合っていないという風に申していました。ご奉仕しました記憶は4回ほど。店外サービスをしたことはないとも。人違いではありませんか?」

「あーそうかもしれない。お騒がせしてごめん」
とだけ言って切った。

……俺は出征前はこれでもそこそこの高学歴で家族からも期待されていたのだ。こうにも状況証拠を提示されれば嫌でも分かる。
 まず俺は戦傷者で顔面がぐちゃぐちゃになった中年男性だ。財力もない。あれだけの女が入れあげるはずがまずない。
 その上妙に俺の精神、思想、願望にチューニングされた発言、趣味、遅漏にしても妙に遅すぎる射精時間、あれだけ激しく行為した割には水分を吸収していないソファ。手際よく置かれた俺の好きな小説。すべて、すべて、すべて。すべて……

 PNSがこうあって欲しいという願望を生成しただけなのだろう。これじゃあ犯罪も起きないわけだ。俺は耐えきれなくなって部屋を飛び出した。

 退屈な午後は俺に妙に柔らかく、街中では戦傷者に優しく作られたユニバーサルデザインが氾濫し、俺は今日も正しく街に受け入れられている。俺は、あのリフレ店を燃やそうと、あのクソったれのボーイを殺そうと、女を燃やそうと、歩き出したところで——————


——————全てを忘れて、呆けて立っていた。
「あれ、俺って何してたんだっけ?」
明日のゴミをまとめてなかったな。やるべきことを思い出した俺は、公営マンションの3階へ帰路についた。女の鼻歌のような秋風が耳をからかう。今日は年内でも一番くらいに過ごしやすい良い天気で、いい日だ。

ファックしてください、ジーザス!(2022-10-14)

 2020年のアメリカはまさに黙示録の狂騒が全土を覆った年であり、虐殺器官もかくやというありさまだったが、そんな年にも一粒の小麦からは万の小麦の実がなり、神の栄光は絶えぬまま黒人は殺され、黒人は殺され、殺され!殺され!悪意を持った白人に殺され!悪意を持った白人に殺され!息を殺され!街は破壊され、銃を持った屈強な男たちが街を守るようになった。

 野蛮の国アメリカで疫病が蔓延し、神の栄光の国アメリカで全ての悪徳が実現するのは当たり前だった!アメリカという生娘はいつも神の栄光の名のもとにジーザス・クライストに組み伏せられている。それはとても大きな男根で、アメリカはいつも媚態を顔に浮かべ「ファックしてください、ジーザス!」と叫ぶ。ジーザス・クライストが己が自慢の男根でこの余りにも豊かで真の意味での豊穣さに溢れた地を突くたびに、野蛮な乳房を揺らすアメリカの女神よ!それは自由の女神ではない。アメリカとは自由の国でありながら自由ではない。それはジーザス・クライストにファックされることでしか成り立たない破滅的な現実なのだ。ああアメリカよ!その不幸な女性はいつもライフル銃で身体を貫かれている。銃創から噴き出す血はいつも赤黒くそれでいて気高い。内側で抱えきれなくなったエネルギーが一気に表出してマグマ状の世界を作る。毒々しい赤薔薇の、いつも生産的で、破壊的で、大量の血の奔流に呑み込まれ、汚濁し、神の精液に塗れ、なんと美しいことだろうか!ああ偉大なるアメリカよ!ライフル銃とは神なのか?否、断じて違う!ライフル銃とは彼らが彼らたることである。神は男根しか持たぬ。神は銃を持たぬ。ならアメリカ、アメリカは?アメリカは男根を作った!ライフル銃こそがアメリカならばライフル銃とはアメリカの男根である。自傷こそがアメリカならば、アメリカとは自傷と痛ましい滅亡が運命づけられているのか?アメリカよ。俺にもファックさせろ。

 黒人青年の俺は街を歩いていた。俺は前世には日系収容所に閉じ込められそこで死んだ。その前世はイタリア移民で、その前前世は苦力で、やはりそのまた前々前世は奴隷主にファックされる南部の女だった。アメリカとはファックである。ジーザス・クライストはアメリカをファックする。奴隷主は私をファックする。栄光につながる道はチャイニーズをファックする。市民の憎悪は日系移民をファックした。ファックこそがアメリカならば、やはり俺はアメリカにファックされ続け、それゆえにこそ俺はアメリカをファックしなければならないだろう。息の出来ない自分の醜態を想像しながら身体をびくりと奮わせる。あまりにも甘美で、甘美であるがゆえに悍ましい死を思う。あの差別主義者(マザーファッカー)はどんな風に俺をファックするだろう?またファックしてきただろう?街は一昨日の騒乱で破壊されている。全ての生活用品店が焼け、店は掠奪に遭い、FOXニュースは相変わらずそれを我われの暴力に帰する。何ということだろう!ファックされるドナルド・トランプ。トランプにファックされる黒人たち。ファックされた女の遺体。ジーザス・クライストにファックされた白人。か弱い共産主義者。同じように貧者をファックするバラクオバマ。ファックするジョージ・ブッシュ。ビルクリントン、ロナルドレーガン、リチャードニクソン。ファックの螺旋、螺旋、螺旋。螺旋!ジョーディマジオの垢抜けない精悍さを想い出して俺は気を鎮める。またシドニーポワチエを想い出して気を強く保つ。ファック、ファック、ファック。ファック!ファック!

 気づけば俺は街の中心に佇んでいた。否、正確には2日前まで街の中心だったところだ。この小さな街にもホールフーズがあって、ウォルマートストアがあった。アマゾンの倉庫も93km先にあった。ここは町の小さな庁舎があった。ハンバーガー店もあった。暴徒がファックして焼いたのだ! 真に怒れる黒人と、ごっこ遊びの白人のナードが。そしてKKKが!俺のたなごころだけ白く白人のような手には白い精液がべっとりと着いている。俺は興奮している。これは極めて程度の低く、それでいて大いなる破壊に対する正統な興奮である。歴史の螺旋に。ファックに。組み伏せる神よ!ジーザス!俺を今すぐファックしてくれ!

 ポリスは何度も執拗に俺を付け回し俺を囲い殺そうとうかがっていた。俺の手はすでに自分の精液に塗れ汚れる機会を失っている。すでに俺はファックされた身で、またファックもしている。女を抱く。ファックする。頭のなかを流れるカニエウェストのエブリアワー。俺は初めからすべてを知っていた。セックスを生まれたときから知っていたように、神の愛を知っていた。神のファックを知っていた。ああ栄光のカニエウェストが埠頭に立つように、ステージの先頭に立つように、モーセが海を開くように 今こそ俺は町の真ん中で神の栄光に身を浸すことができる!神よ、俺こそがファック。俺こそが真の信徒だ。我がまなこは神の栄光の来るを見———————————

 ジョン・キール、23歳の白人男性はそこら中で連続強姦殺人を起こし、州の枠を越えFBIに追われる身となっていたが、このほど中西部の中規模な町で射殺された。この残忍な人種差別主義者は黒人、黄色人種、ヒスパニックなどの有色人種の女性を強姦後絞殺し、磔にした死体を遺棄して逃走するという極めて異常性、残虐性に満ちた犯罪行為を行なっていた。その最期だが、暴徒化したBLMに破壊された町でまたひとり女性を強姦していたのを警察に見つかったが、ひとしきり逃げ回ったあと、意味不明で支離滅裂な、演説にも説教にも似た何かを叫びながら天を仰ぎ、駆けつけた警官に蜂の巣にされながら死んだという。

2022年にもなって未だに大衆蔑視を辞められないインテリのカス共(2022-10-11)

 自分は大衆とは違って「知的」に「誠実」で「自明」に「正しい」と思ってるグロい連中がネットには沢山いる。終わってる大学教授。終わってるサブカル男。終わってるプロ市民。終わってる小金持ち。冷笑家。この手の終わってる連中はどうも自分は大衆とは違う何かだと思っているらしくて(客体としての大衆を何らのためらいやペーソスなく分析する手つきは一体どういう了見なのだろうか?)、何かにつけて「大衆は愚かだから〜」とか、「大衆はこれの良さを分かってなくて〜」とか言い立てる。では彼らが指している大衆が常に一定の集団かというと決してそうではない。ある連中の定義では、ゼロリスク思考のいわゆる「コロナ脳」は大衆に該当するらしい。またある連中によれば、科学リテラシーを持たない大衆は簡単に反ワクや陰謀論に騙されてしまうから、自分たちが善導してやらねばと言う。極めてくだらない。それぞれの党派が敵方に「大衆」の押し付け合いをしているだけではないか。また別の連中がいる。俺が一時期交友関係があった気の触れるくらい気色の悪い男によれば、哲学書を読まない畜群は愚かで、知性に欠けているらしい。また、pk shampooのような「すばらしい」音楽を聴いていない大衆の感性は摩耗しており、終わってるらしい。先ほどのコロナに関する話より更に厳しい。以前の彼は他にも、テレビに出ているようなミュージシャンは全員淫売で、それを見抜けない大衆はやはりゴミだということを真顔で語っていたが、ゴミなのは当然彼の方だろう。Mr.Childrenを聴きながら今日も仕事を頑張っているお父さんやBUMP OF CHICKENをBGMに受験勉強に励む高校生のほうが、二流私立大学の哲学科で毎日親の金で酒浸りになりながら思春期的全能感を捨てきれないそいつよりも偉いに決まっている。結局のところ、少なくとも68年革命以降、「大衆」とは単なるレトリックの道具でしかない。自分と異なる党派性の人間、自分とは異なる種類の人間、それでいて同じ国民国家の枠組みのなかで自分と大して違ったところもない「仮想敵」。そういった敵方をカテゴライズするのに最も適しているのが「大衆」という貶し文句なのだろう。要はストローマン論法の一種だ。

 大衆の本質とは無記名性であり、大衆という言葉は何らかの党派性に色づけられた時点で効力を失う。階級闘争史観が頂点に達していた1930〜50年代には意味のあった言葉なのかもしれないが、言葉通りの意味での「階級」は今や西側諸国から消滅している。インテリだろうが小金持ちだろうがサブカル男だろうがお前らは全員大衆なのだ。自分は大衆とは違うと胸を張って言えるのは政治家のガキくらいだろう。そもそも大衆を貶し文句として使用していること自体が、お前が大衆に回収されている根拠となる。マークフィッシャーの『反逆の神話』はそれはもうインターネットのキモいオタクに何度も引用され擦られ続けてるから今さら俺が言及するまでもないが、資本主義に抵抗する仕草自体が資本主義に回収されるように、大衆を見下す行為そのものが自分が大衆の一部でしかないことの傍証となる。自分を変人だと自称する変人はいないという話と同じだ。

 長々と語ってしまったが大衆蔑視を辞めろみたいな話はもう俺が言及するまでもなく何十年も言われ続けており、それでもインテリが大衆蔑視を辞められた試しはない。それどころか「階級」が溶解した1970年代以降、大衆蔑視という思考原理そのものが人口に膾炙するようになり、ふた昔前なら自明に大衆と分類されていたような労働者階級の連中まで大衆蔑視の真似事を始めるようになった。自分を非-大衆だと思い込む大衆とは戦後社会の宿痾だが、ただ「大衆」を見下したり党派性の道具にしたりするような最近の連中より、大衆に絶望しながらも分け入って革命への希望を捨てなかったナロードニキの方がよっぽど偉大だろう。これだけ世の中は進歩しているが、こと「大衆」に対する知的態度に関しては明らかに19世紀より退化しているように感じる。

共産党に投票する保守派の論理(2022-10-8)

Twitter論壇でデカめの影響力を保持しているもへもへ(@gerogeroR)というアルファがいて、彼は自民党政権を支持するようなツイートを繰り返しながら選挙では共産党に投票しているらしい。彼の主張には首肯しかねる部分が多いが、あの男が共産党に投票してしまうセンチメントは亜インテリの一人として痛いほどわかる。何を隠そう俺も過去10年間の自民党政権を消極的に支持し続けながら、今度の選挙区では共産党の候補に入れたからだ。別にあの男にしても俺にしても共産党の政策に見るべきところがあるなんて思っていない。要は免罪符が欲しいのだ。資本主義リアリズムに呑まれた格差社会ニッポンで、それでも俺は世界同時革命への希望を捨てなかったぞ!という免罪符だ。あとは小賢しくも政党間のバランシングを考えたときに一番使い勝手がいいのもある。立憲民主に入れたらワンチャン当選するよな…立民の候補者って救いようのないガ◯ジが多いし…でも俺は現状の自民党政権を支持しているわけでもないし…維新なんて死んでも入れたくないし…と言ったときに共産党に投票すると、亜インテリとしての矜持も守れるし、手っ取り早く自民への不満を一票として示せる。ビートたけしが「次は共産党に入れるよw」と冗談めかして言ったのが大炎上したアレも、構造としてはほぼ変わらない。2010年代の安倍一強時代はネオ・55年体制のようなもので、その中で育った我々は自民党政権の外部性を想像するのが困難だった。いまや安倍は死に、岸田が統一教会問題でしくじり続けたことで(清和会を傍流に追いやるためわざとやっているようにも見えるが)日本政治は新時代に突入した。中道穏健ノンポリ市民として、参政党やれ新が政権を握るような事態は避けてほしいものである。

消費(2022-10-5)

lowpopltdはあんなツラして彼女のために曲を作り続けていたらしいが、ある日ほとんどの曲を消してインターネットの娑婆から旅立って行った。GLAYTAKUROはHOWEVERを当時付き合っていた彼女のために書いたというが、そのことを彼女に言ったら軽蔑されたという。消費される自分を親友によく揶揄われていた小沢健二は復帰後かつての才能を失い自分の世界観に耽溺するようになった。
全ての表現は消費で、消費とは暴力だ。消費から逃れることはできない。生まれた瞬間お前は加害性の産湯に洗われる。21世紀における原罪とはあなたを傷つけることで、あなたに傷つけられることだった。
Tinderで会った女がブスでしょうがなくてその日のうちに全てをブロックした。頭の弱くてブスで、自分の加害性にも被害者性にも無自覚で、気持ち悪かった。
世界と一緒に歪むことができて本当に良かった。いつでも寂しくなくて済むから。純潔であることはどれだけ苦しくて悲しいのだろう。俺にはよく分からない。

お前には才能が……(2022-10-5)

賢しらな連中が賢しらに降りるさまを見てそれでもお前は立ち続けているが、俺は偉いから生活に戻ることができるのだ。
お前には才能がないから降りることすら出来ない。岩に齧り付くようにリングに立つことしかできない。ボコボコにされて、観客の罵声を浴び、お前は傷つき続ける。
俺はお前を見下ろす。なんて無様でかわいそうなことだろうか。何度立ち上がっても結果は見えているだろう。お前のスイングはジャブですらない。掠りすらしていない。
自分の顔を見てみろよ!今すぐ鏡を投げ入れて、青痣で膨れ上がった赤ら顔を見せてやりたいくらいだ。お前には才能がないのだ。

少しづつ攻撃が掠るようになっていった。それでもお前はのろのろとしている。限界を振りしぼるお前はああなんと見ていて痛々しいことか。今すぐタオルを投げ入れてやりたい。はやく醜く負けて見せろよ。
お前には才能がない。それでもお前は戦い続ける。お前には才能がない。それでもお前は立ち続ける。お前には才能がない。それでもお前は腕を振り続ける。
俺は才能があるから降りた。少なくともお前より才能があって、この先に道なんてないって分かってるから降りた。お前は降りない。こんなの不幸への道でしかないのに、そんなことすら分からないからだ。俺が続けていればお前よりすごかったんだ。俺は才能がある。俺には才能が、お前にはなくて、俺には、お前には、おまえ、、お前には才能が——————

「満身創痍ながらも最後に一矢報いた敗者、〇〇に盛大な拍手を!」
リングの隅っこで横たわる敗者は言うことの聞かない腕を無理やり持ち上げ、原型を留めない顔でそれでも破顔した。

「やっぱりこいつに才能なんてなかったじゃないか。」
俺は深く安心して、ポケットからピアニッシモを取り出して、深く深く吸ってみせた。