足立健

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「坂本龍一が死んだってよ」

 「坂本龍一が死んだってよ」

旧友が電話をかけてきて知った。坂本は近年Xデーが噂されていて、心の準備をする期間は十分だったので、それほどショックではなかった。むしろ、高橋幸宏が亡くなったときの方がショックだったかもしれない。

 


 旧友はクラシックが好きなやつだった。広義の意味でのクラシックで、古典派から現代音楽に至るまでの一群の音楽をたいていは語れたし、拙いながらも演奏もできた。ある時までは藝大を目指していたらしい。

 


 彼はよく坂本を腐していた。いわく彼の音楽は和声が特徴的なイージーリスニングでしかなく聴くに値しない、彼がやっている前衛音楽はすでにクラシックの世界では実践されて久しい、彼は現代音楽のフィールドで評価されていない、などと宣う。田舎の無教養な鼻垂れ小僧だった俺はよく反発したものだが、彼は地元でも名士の家柄で、ピアノの講師につきっきりでレッスンを受けており、その権威性には抗い難いものがあった。

 


 その彼の声音はどこか落ち込んでいて、俺はすこし意外に感じた。

「なんだってお前坂本龍一嫌いだったんじゃないのかよ」

「いや、仮にも人が死んだからね…」

そんなしおらしいこと言うやつだっただろうかと口にでかかったが、呑み込んだ。

「お前最近は順調かよ」

「いや、次の選挙は受かろうと必死でやってはいるんだけどね、けどなかなか…」

 彼の家は地方名望家というやつで、地場産業をバックにつけて地元ではそこそこの政治勢力を築いていた。それがこうなったのは平成以降の選挙区改革や市町村合併によるものだ。さらに後援者の団体や会社がバブル崩壊と過疎化で力を落とし、彼が跡を継ぐ頃にはそうとう地盤が弱まっていたのだ。借金まみれで後援者の威光も失った彼はそれでもどうにか地盤を維持していたが、先般の選挙でとうとう落ちてしまっていた。

 


「今度有給を取って実家に帰るんだ。久々に呑みにいかないか?」

「いや、いいかな。ちょっと地方選もあってかき入れ時だからね。」

 明らかに調子を落とした声音と口調が心配だったが、追及することもできず、そうか、とだけ答えた。彼が『夜空ノムコウ』を口ずさんでいたのはいつからだろうか?あれだけ自信満々だった彼がひとこと目には「いや」をつけるようになり、傲慢な教養主義者だった彼がカラオケでチープなポップソングを情感たっぷりに歌い上げるようになったのは、政治家という業態の俚俗な性質によるものだけではないだろう。

 


「まあ、また帰るときには連絡するよ。お前も連絡してくれ。」

気遣いの社交辞令を述べて、ガチャリと電話を切った。

 


 東京はほんとうにいいところだ。団塊ジュニアの第一波で、いわゆるロスジェネと呼ばれ始めていた俺は、それでも優秀だったのでそこそこの大手企業に就職できた。同世代がつぎつぎと滑落していくなかで必死にしがみついて、なんとか生きて来れた。他人を蹴落として何らの罪悪感を抱くこともないし、白い目で見られるわけでもない。この砂漠では雑踏をかき分け落伍者を踏みつけることによってのみ食糧にありつける。俺はこの非人間性を気に入っていた。

 


 とりあえず追悼の意も込めてテクノポリスをかけた。坂本の大傑作の一つだろう。作品自体は79年のものだが、東京という街の昇竜がうねりを上げるように突き進んでいく80年代の姿を見事に活写している。俺が東京に初めて憧れを抱いたのは、臭く汚い実家の古いブラウン管から流れるこの曲を聴いたその日だった。俺という人間はその時、テクノポリスの艶やかさと対比した貧乏で汚い自分の惨めさを自覚させられたものだ。70年代にしてすでに寂れ始めていた故郷の、さらに底辺の俺。俺は坂本に憎しみにも似た憧れを抱いていた。

 


 察しのとおり、俺のその憧れは旧友にも向けられていた。地元の名士の子供で、頭がよくて、スノッブじみていて、妙に顔立ちも垢抜けていて、それが憎らしいほど坂本と瓜二つだった。彼が美しいピアノの旋律を合唱会でひびかせたり、彼の下駄箱にだけ手紙が入っているさまに遭遇するたび、彼への嫉妬は狂おしいほど止め難かった。俺の精神性は坂本と旧友に対する憎悪と憧れが基盤になっているとすら言える。彼がそれに気づいていなかったとは思えない。彼は自分に向けられる愛憎入り混じった複雑な目線を全て知っていながら、俺を友達として受け入れた。このことについて話したことは一度もなかったが、彼も彼で地元の名士の子として薄らと周りから敬遠されており、それがネガティブなものであれ感情を向けてくれる俺だけが友達と言えたのだろう。

 


 そんなことを考えながらぼちぼちと地元に帰る準備を始めていたところだった。なんとなしにテレビをつけると信じ難いニュースが報道されていた。

「昨日、前衆議院議員の〇〇〇〇氏が事務所内で首を吊った状態で発見されました。〇〇氏は〇〇第3区選出の前衆議院議員であり、議員としては護憲を訴える超党派議連の発起人の一人としてだけでなく、選出区の〇〇地域における再開発に反対する運動の旗振り役としても注目されていました。警察は自殺の可能性が高いと見て捜査を進めております。謹んでご冥福をお祈りいたします。」

 なぜさっき電話した旧友の死去がニュースで流れているのか理解ができなかった。旧友が死んだ悲しみだけでなく、時系列を超越した怪奇現象が身に降りかかったショックに打ちのめされしばらく混乱していたが、やることを思い出した俺は食器棚のジンを取り出して、一杯呷って、スマホを取り出した。

 


「〇〇が死んだそうですよ」

「ああそうですか」

「これでやっとあそこの再開発も進みますね。とりあえず会議したいのでアポ取ってもいいですか?」

「ああ、急を要しますからね。では4月の7日でいいですか?」

 有給は取り消さなければならないな。陽がだんだん傾いてきて、タワマンの一室には窓側から溢れんばかりの光が注いできた。あまりに陽気すぎて、それは電話をしながらだんだん平静を取り戻し、柔和な笑みすら口に浮かべている、彼の心内を象徴しているようだった。