愛と生きる意味

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心(2021-12-10)

無邪気に固い言葉だけを並べて、自分の感性の鋭敏さを誇っていたのは昔のことですが、今でも時折り、けばけばしく修飾語を重ねた言葉であなたを表現したくなる時があります。ねえ、あなたって酷く臆病でだらしのない人間だよね。いつも本質的には自分のことしか考えてなくて、私が「助けて」とSOSを出しても、その裏に隠れた意図を全部読みとりながら突き放したことを言うあなたの、その無責任さが大好きでした。あなたがふとした時に遠くの方に目をやって、絶望さえも映さない顔をするたびに、突然消え入るように居なくなるのではないかと私は不安になっていました。あなたはそれをそういう演出だとか、何も考えていないんだとか言うけれど、なるほど私はその演出がなされるたびに好きになってしまっていました。それは私も愛という言葉を軽率に使ってしまっていた経験から来るものなのかもしれません。とにかく私は、いつかあなたの飄々とした横顔の虚を暴いてやりたいと思っていましたし、あなたが目に映す景色もぜんぶこちら側で決めてやりたいとも思っていました。ねえ、あなたってとても簡単に、躊躇なく嘘をつくよね。当時の私は、自分を苛むために発した言葉が意図通りに自分を傷つける様を眺め続けるゲームを辞められなくなっていて、それが救われない自分を慰める唯一の方法だと知っていました。あなたはそんな私に救われるための選択肢を約束してくれました。あなたの約束は嘘だって、本当だったとしても履行されることは永遠にないって、最初から分かっていたけど、愚かな私はイカロスのようにそれに身を委ねようと思ってしまったのです。約束された破局だけが真実を歌っているということはあるでしょう?私はそういう光が欲しかったんです。それでも、もういいんです。こんなことは終わりにしましょう。あなたは欲しいけれど、私は私を大切にしようと思います。心地よい滅びに体を預けるのではなく、今度は自分をとりまく呪いを振り切って、一歩一歩踏みしめて歩いていこうと思います。もう一度東から太陽が登り世界が光る頃、私はまだ朝食を食べ終えていませんでした。さようなら。私はあなたなしでも生きていくためにあなたの手をとったのだから。さようなら。さようなら。