足立健

noteでも同様の記事投稿しています

Ballet Mécanique

街に沈んでいく灯りの数々が、山から見ると墓石のようだった。この光景を見ていると死にたくなくなってくるな、そう思った。
「喚いても心中は辞められませんよ」
隣の美少女が去来する感傷を、浸る間も無く叩き落とした。
「20分後の10時56分45秒まで市街地の夜景を眺め、それから車に戻ってください。それから私の焚いた練炭が」
男は大きく首を振った。
「分かっているよ、逃げ出さないから心配しないでくれ。」
「あなたはそもそも私から逃げることができません。」
男が申し込んだ安楽死プランは最もストリクトなコースだった。気変わりした時のためのフェイルセーフを全て外したばかりか、自殺のためのロケーション、シチュエーションまで吟味した。有り金全てを積み上げて、心中用のアンドロイドまで用意した。家が買えるくらいの金額がしたらしい。最も自殺プランを申し込んだ以上彼に他の使い途は無かったのだが——————

しばらく眼下の街並みを睥睨していた彼だったが、そろそろ時間ですよと呼ばれ、車に入った。
上を見上げると何もなかった。ガラス張りになっているわけでもなく、ただクリーム色の低い天井が映るだけだった。なぜ多くの練炭自殺者は天井を見上げて死んでいるのか、彼には今まで分からなかったが何となく理解した気分になった。
「手を繋いでくれないか。」
「いいですよ。」
もぞもぞと手を動かすと、アンドロイドの今にも壊れそうなほど精巧で可憐な手があった。
「手汗が気持ち悪いですね。」
「ああそう…は、はは、そうだね、ふふ、」
そういう返答をするような調教を受けているアンドロイドがその通りの返答をしてくる滑稽さに噴き出してしまった。しばらく笑っていたが、ようやく落ち着く頃には笑い過ぎで目尻に涙が滲むほどだった。
「思うんだけどさ、君ってたぶん、僕と心中をするために生まれたんだよね?生まれた時には思考がプリセットされていて、心中だけを考えて生きてきて、それってどんな気持ちなのかな?」
「私には感情がありません。もっと正確に言えば感情を導出する思考プロセスが存在しません。従って心中についても、私の人生についても何らの感想はありません。」
最初に応答機械が生まれた頃からの定型的で変わり映えのしない文句。いくら美人な女でも感情のない人間と死ぬのは真平だったが、今という時代は「死」すらもチープな代替物による満足を押しつけられる時代なのだ。仕方なく男は「そうかそうか」と答えた。
「そろそろ死にたいからキスをしてくれないか。」
「かしこまりました。」
男はいつぶりかのキスをした。絡み合う舌と舌。男の舌はたしかに舌苔塗れで醜かったが汚れておらず、女の舌はそれだけでこの世のものとは思えないほど美しかったが、劇物塗れで相手を殺すための兵器だった。男は丹念なディープキスをされた後、しばらく天井を眺めていたが、いつのまにか目を開けたまま事切れていた。

女はそれをしばらく見つめていたが、何かを呟いてからそーっと、だれにも気付かれぬように車の外に出ようとした。窓の外には灰色の曇り空がずっと続いている。

瞬間、女は銃声とともに事切れた。
「アンドロイドの演算部は頭部じゃないから狙うのも一苦労ですね。」
「気の毒だが、アンドロイドは1ヶ月以上生かすといらん事を考え出すからな。ただのAIなら過学習をリセットさせるだけでいいんだが、こう生体機械と結びついてるやつはバグを起こして生き延びようとし始めてしまう。」
「これ疑問なんですけど、逃してたらどうなってたんですか?」
「物理的に俺たちの首が飛んでもおかしくないレベルだ。とりあえず今日はお前の初陣祝いで飲みに行くか。」
監視員たちは確認のため車に近づいた。死んだ女の顔にはあまりにも穏やかな笑みが張り付いていてそれがやけに不気味だったが、構わず作業を続けた。