足立健

noteでも同様の記事投稿しています

1994年12月ごろのSMAPについて(メモ)

前置き

これは完全に私的なメモの一種だが、公開することにある種の「公益性」があるのではないのかと思う。かっこつけた言い回しだが、要はあまり語られていないし、簡単な分析すらされていない分野の話だからだ。本文はフォロワーとのDMを加筆・再構成してある程度可読性を高めたものとなっている。興味のある方はぜひ読んでいってもらいたい。多少校正前の口語が入り混じり不自然な文体となっている可能性があるがそこには目を瞑ってほしい。

94年12月ごろの木村とSMAPを総観して

この頃の木村は大スターとスターの狭間くらいだった。「格」としては、2023年5月現在の平野紫耀と同等と言っていいだろう。ちょうど「若者のすべて」でカリスマとしての地位を確立した頃で、95年に本格的に社会現象が起こる直前という時期だ。「キムタク」という呼称が生まれたのもこの頃である。

木村が最初に抜け出してきたもののグループの関係もうまく行っていた時期で、この頃はメンバーの仲の良さが目立つ。ただ後に俳優や中心メンバーとして人気を博すこととなる草彅と慎吾の存在感は、まだそこまで大きいとは言い難い。

グループとしてのSMAPは、『Hey Hey おおきに毎度あり』を皮切りに、『オリジナルスマイル』、『君色想い』、『がんばりましょう』と佳曲を連発し、それぞれヒットさせていた時期だった。中でも『ヘイヘイ』は平成文化史においてのある種のメルクマールとして(筆者が)(勝手に)位置付けている曲である。『今夜はブギーバック』以前に発売されたこの曲は明らかに『GEISHA GIRLS』のコンセプトと共鳴しており、ダウンタウンSMAPという後に平成芸能界を制覇する二大グループが同時期に似たような試みを行なっていたことは特筆されるべき事項だろう。詳しくは後に機会があれば述べるとして、次項からはメンバーの細かい立ち位置の説明に入る。

中居正広

グループのリーダーで、実際に飯島マネと組んでマネージャーモドキもしていた時期。ただグループ人気は中居-森-香取がほぼ横並びで2番手くらいだろう(これについては異論もあるかも知れない)。個人の活動としてはいいとものレギュラーを獲得はしたものの、まだまだバラエティ修行中という趣きだった。翌年の95年にMCの仕事が一気に増え始め明確に「つとぷ」化していく。

木村拓哉

人気トップだが中居を立てている雰囲気も目立っていた。後の姿からすれば信じられないほど器用に回しもこなしており、収録中に中居が慎吾にガチ切れした時は咄嗟の機転でドッキリということにしたりするなど、年長組(木村は中居と同い年で、他が年下であったことからグループの方針決定の主導権を握っており、後に「つとぷ」と呼ばれるようになった)でありながらも、便利屋としても動ける立場を存分に生かしていた。またこの頃はMOTHER2で組んだ糸井重里スノッブ染みた交友関係を築いていた印象が強い。

森且行

「脱退前の森は木村より人気だった」という都市伝説は今でも流布されているが、これは明確に嘘である。しかしながら歌唱力と踊りというフィールドでは明らかに森が一番手で、これは誰にも否定し難い事実だ。アイドルグループとしての「SMAP」は実はこの人が本質とすら言える。ただグループ活動にはすでに興味を示さなくなり始めていたのではないだろうか。

稲垣吾郎

最初推されていたのは実はこの人だがイマイチはねず、人気5番手に甘んじていた。しかしながら坂本龍一と交遊を深めたりワインにハマりだしたりするなどサブカル路線を深化させていった。先述の『ヘイヘイ〜』はSMAP初のオリコン1位曲なのだが、この曲のヒットをリリース前段階で正確に予見していたのはメンバー内では稲垣ただ一人だったというエピソードも持つ。

香取慎吾

「バラエティ班(中居、香取、草彅)」の一人として、いいともを中心に一定の人気を獲得していた。

草彅剛

当たり前だが6番人気。そもそも美男子揃いのSMAPの中では明らかに容姿で一段劣る以上仕方がない。いいともでニヤつきながらフリップを捲る変な人扱いだった。彼が日の目を見るのはドラマ「いいひと」を待たなければならない。