足立健

noteでも同様の記事投稿しています

捨てることの悦楽

 さいきん諸事情があって、リサイクルセンターで破壊されていく粗大ゴミを見る機会があった。それがいやに素晴らしく胸のすく光景だったので、備忘録的に記そうと思う。
 何が良かったかというと、分別方法やシステムの高度さではなく、むしろ過程における手つきの方の話だ。システムとしては非常に単純なものだった。まずリサイクルセンターに、うず高く不要家具が積まれた中型トラックが入ってくる。それで駐車が済むと、荷下ろし作業が始まるのだが、その際の手つきの、立板に水を流すような清新さといったら無かった。担当者たちはとても重い家具をまるでラグビーボウルでも放るかのように"投げ"降ろしていく。余りにもその様子が華麗すぎるので、この人たちは実は内心で少し勃起をしているのではないかと思うほどだった。たくさんの思い出が詰まったやけに高そうなタンスも、彼らの目からすれば単なる廃棄物でしかない(当たり前の話ではあるがそれこそが重要なのだ!)。砲声のような音を立てて地面に激突する家具たちは、その瞬間に意味性を剥ぎ取られて真に「粗大ゴミ」となる。家族の思い出も、長く過ごしてきた経年劣化の積み重ねも、柱に記された身長の記録も全て抹消され、匿名性のもとに地面を転げ回るのだ。こういったカタルシスは担当者の人たちも心の内奥では感取しており、それこそがこのぞんざいな扱いを生み出す一助となっているのかもしれない。意味性を孕んだ沢山の木製家具を毎日運んでいると、その意味性の暴力から身を守る術を体得しなければならないのだろう。もちろん作業効率的観点における、これから捨てるものを丁寧に扱う必要がないという論理は重々承知の上で、それでも自分にはそう思えてはならなかった。

 その後は、一定の分別(目測による)を経た後破砕車で粉々に砕かれることとなっている。プロセスで言えばこれだけのことではあるが、その際の手つきや、また機械の壮観さにはやはり見るべきものがあった。破砕機は車に接続されており、奥行きを考慮に入れるとそれほど大きなものではない。これほど多種多様な家具を呑み込んで消化できるのかと疑問に思ったが、実際に見るといとも簡単に、巨大な馬力をもって全ての家具を呑み込んでいった。機関銃掃射なみの音が鳴り響き、ほこりが舞う。今度は機械の巨大な力が、家具から残った意味性の残骸をも破壊し尽くしているようで、これにも非情な清新さがあった。

 当たり前の話だが捨てることは怖い。自分は典型的な汚部屋人間で、物を捨てることを躊躇してしまうのだが、この性分も「意味性」に関する鋭敏な感覚から来ていると言えば少しは格好がつくだろうか。いずれにせよ、あれだけの量の家具を放り投げてめちゃくちゃに破壊ができるような体験はその職業についてでも無ければあまりできることではなく、それが見れただけでも良かった。