愛と生きる意味

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麻布競馬場を買わなかった(2022-9-4)

 池袋の書店を散策していたら麻布競馬場の本がデカデカと置いてあった。面白がって手に取って、(ある種の期待を抱きながら)パラパラ眺めていたが、とにかく嫌な気持ちになった。当たり前のように本文は、一度ツイートで読んだことのあるようなショートショートに、おそらく書き下ろしと思われる新篇がいくつか。そのままツイートで段落を区切って紙媒体の書籍に並べているため、まあ読みにくい。言っちゃえば媒体のUIが違うので仕方のないことではある。あの手のネット発文学にありがちな売り方だが、そのこと自体は別に良い。ああいった書籍をそれでも買うというのは、そうした薄っぺらさを自覚しながらも、それを飛び越える魅力にカネを払っているわけで、俺も実際に買ってみようかという方向に気持ちが傾いていた。最後のあとがきを開いてみた。あとがきにはどうも彼のパーソナルデータが書いてありそうな雰囲気だ。
 余りにも最悪だった。底意地の悪い男だ。お前に求められているものは薄っぺらい希望でも薄っぺらい絶望でもない。ましてや自分の、他人の、世界の歪みを訳知り顔で絶叫することですらない。自分が始めた物語だろう。さんざん観測者ぶっていたくせに、そのネタバレが懺悔にも似た絶叫というのは本当にどういう了見なのだろうか。道化師にも成りきれない浅ましさに怒りすら感じてしまった。
 小沢健二の犬のライナーノーツを思い出す。時代や芸術の種類を問わず、信頼をもって会いに来た人にいきなりビンタを食らわしたり皮肉を言って悦に入るような作品たちに、この世のありったけの不幸が降り注ぎますように。結局右大臣実朝とハーモニーを買って帰ってきた。くだらない御託を並べて買わなかったことを自慢してるクソガキとか言って、俺のことも嗤ってみろよ。おい。