足立健

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4/1(2022-4-2)

書かれた文字は所詮イデアの影でしかなく、言葉を知った僕らはもはや何者をも掴むことができないというのは文字禍にも出てくるようなありがちなテーゼで、フリッパーズギター時代の小沢健二はそこから一歩踏み込んで、俺らは俺らである以上一生わかり合うことはできないと歌ったが、これもありがちなテーゼだ。まあ考えてみれば俺ら一人一人は感覚器のかたちからして違うんだから当たり前の話で、ただの同語反復でしかない。それでも俺らは空漠たる世界に自分が変な顔をしてただ居ることに耐えられないみたいで、偽物の居場所を探して偽物の友達を探して偽物の愛を探すのだ。世界に愛が無ければどうなっていたかという問いは昔からあるが、自明の公理に不在を問うても意味がないだろう。谷川俊太郎のあまりにも有名な詩を引用するまでもなく、1+1が2であるように、俺らはいつもひかれ合っている。万有引力には時には愛だったり、友情だったり、信仰だったりの名前がつけられていて、俺の頭上ではいつも色とりどりの名前のついた星たちがぶつかりあったり複雑な楕円軌道を描いて周回したりしている。あの通りの夜桜は今日も綺麗だった。ここ一年のうちに愛しあって罵りあって殺しあった俺らの火花が一つ一つの花弁になっているのだろうかと思うのは、余りにナイーブがすぎるだろうか。終わりを知りながら手を伸ばすその眩しさだけに真実は宿る。少しの間でもあなたを人生の道行きに連れ立って歩いてみるのも良いのかもしれない。